レース本番、3日前。
右のふくらはぎとひざに不安を抱えたまま、僕はホノルルに入った。ワイキキビーチの空は、なんの迷いもないように、青く晴れ上がっていた。
日本を発つ前に、作戦は立てた。
最大の不安は、2〜3km走ると痛み出す右ふくらはぎだ。一度パンクしたら、歩くことも困難になる恐れがある。42kmを「走りきる」のは、十分な練習を積んでいないこともあり、もはや現実的ではないと思った。
ならば、昨年と同じように「完歩」を目指すか。それも成長が感じられず、悲しい。そう考えると、最善の作戦はすぐにひらめいた。
そうだ、 2km走って1km歩けばいいのだ!
要するに、2kmまでは痛みが出ないのだから、そこまでは走る。ちょっと歩いて(=1km)リカバリーしたら、また痛みが出る寸前まで走る。この「2km走って1km歩く」というセットを14回だけ繰り返せば、ゴールできるという目算。目標は走ったり歩いたり、いわば「半走半歩」の完走だ。
しかも、1セット3kmを30分でカバーすれば、7時間というタイムも見えてくる。練習不足かつ右脚に不安を抱えた僕には、とても現実的な線だった。愛妻ゆかりっちは「無理しないで、昨年みたいに歩いたら」と心配していたけれど…。
もう戦法に迷いはなかった。僕らはビーチでボディボードにトライしたり、パイナップルを買いに街歩きしたり、お気に入りのレストラン「デュークス」で、ステーキとサラダに舌鼓を打ちパワーをつけたり、レースまでの時間をのんびり過ごした。
2014年12月14日、レース当日。
午前2時に起床。コンドミニアムのベランダに出ると、暗い空から、小雨が降っていた。少し肌寒いぐらいで、このぐらいの雨なら、走るにはグッドコンディションだと思った。
おにぎりと、お餅入りのお汁粉でカーボローディングを済ませ、それから、ウエストポーチに補給食と塩分補給のための干し梅などを詰め込み、点検する。日本のマラソン大会と異なり、ホノルルマラソンでは給食はないので、この補給食の準備は、走るための大切な準備なのだ。
そうして、前日にEXPO会場で教わったふくらはぎ痛予防のテーピングを施し、ウェアを着て、シューズの履き、紐の締め具合を調整する。
僕とゆかりっちは、走る準備を、淡々とまるで儀式のようにこなし、午前3時半、スタート地点のアラモアナパークへと出発した。
アラモアナパークに着くと、1年前とほぼ同じ光景がそこに流れていた。1年前と違うのは、雨が降っていることと、今年の僕は走れるということだった。なにしろ、昨年の僕は歩くことすら、ドクターストップがかかっていたのだから。ゆかりっちは時折「緊張するねぇ〜」とはしゃいでいたが、僕もスタート地点に立てたことがうれしかった。
照光器が約3万人のランナーを照らす中、車イスのランナーからスタートしていった。午前5時、号砲とともに、雨の夜空に花火が何発も打ち上げられた。そうして、僕の2回目のホノルルマラソンが始まった。
レース序盤。
ホノルルマラソンは、スタートしてからしばらく(最初の3〜5kmあたりまで)は、まともに走ることはできない。渋滞したり、人の流れも落ち着かないのだ。急に立ち止まって写真撮影したり、鋭角に曲がって給水を取ろうとする人もいるから、どうしてもペースが狂わされる。
僕は、よいリズムをつくることだけを心がけて、ゆっくりと走りだした。右脚の具合に、気をやりながら…。まず1km走り、1km歩く。そのセットをもう1回。
幸いにも、右ふくらはぎの調子は悪くなさそうだった。EXPO会場で受けた無料のマッサージとテーピング指導のおかげかもしれない。
そうして4kmを過ぎてから、計画していた「2km走って1km歩く」作戦を実行に移した。アラモアナからダウンタウンを抜け、ワイキキに入るあたりで、市内の街灯が一斉に消える。夜が明けても、空はどんより鉛色で、小雨は止む気配がなかった。
レース中盤。
ダイヤモンドヘッドを上り、下り、ハイウエイに差し掛かるころ、空模様は気まぐれに変化した。スコールのような雨が降ったり、止んだと思ったらパッと太陽が差し込み、空に大きな虹がかかったりした。虹がかかると何人ものランナーが足を止め、スマホを空に向け、その美しい景色を撮影していた。
僕はといえば、そうした光景に時折目をやりながらも、足を止めることはなかった。念のために言っておくが、美しい虹を見て心が動かないほど、僕は冷徹な人間ではない。むしろ逆で、美しいものを見て、涙ぐむほどの感動屋だ。
しかし、この日の僕は違った。自分のレースに集中していた。雨で路面が滑りやすかったこともある。基本的に視線は3m先に固定して、「2km走って1km歩く」を反復することに集中していたのである。
雨のおかげで気温もあまり上がらず、ハーフを過ぎても、極端にペースダウンすることもなかった。
レース終盤。
いつの間にか、雨は上がり、太陽が姿を見せ始めた。
30kmを過ぎても、ペースは変わらない。いい感じだ。走りはキロ8〜9分、歩きは10〜11分というラップを忠実に刻んでいた。「2km走って1km歩く」で1セット=3kmを30分でカバーできればと考えていたので、想定通りだった。このまま行けば、7時間を切れるかもしれない…と欲も出てきた。
雨は嘘だったかのように、太陽が昇り続ける。きっと気温は25℃以上あるだろう。汗が身体中から吹き出し、喉がカラカラに渇くようになった。
マラソンは35kmを過ぎてからが勝負というが、ホノルルマラソンも例外ではない。特にホノルルの場合、35kmを過ぎてからダラダラと上り坂が続く。まるで3段ロケットのような上り坂。上り切ったと思いきや、またさらに上り始める。
38kmあたりで、何もかもがつくづくいやになってしまう。3段ロケットの最後の坂なのだが、視線を上げると上りがどこまでも続いているような錯覚をおこす。足を動かしても一向に進んだ感じがしない。太陽が憎らしい。この最後の坂は40kmあたりまで続くのだが、ここで大きくペースダウンしてしまった。
しかし、それまでの貯金も少しあったので、残り2kmをキロ8〜9分で走り切れば、7時間切りも可能だった。けれど、もはや足のスタミナは底をついている。視線を落として、とにかく足を前に動かすことに集中した。ここまで来たら、6時間台でゴールしたい!と思った。雨と汗で汚れたサングラスの向こうに、ゴールゲートが見えてきた。もう少し、もう少し…。ホノルルのゴールは見えてからが遠かった。
ゴール。
終わった。手元のガーミンの計測では、7時間を切ってゴールしたが(6時間57分)、公式記録では7時間00分29秒だった。なんとも僕らしい、詰めの甘さだ。やれやれ。
ほぼ当初の作戦通りのレースができたのだが、達成感なんてどこにもなかった。昨年は「完歩」であれほど感動したのに、一体どういう理由だろう。とにかく、いまは早くシューズを脱いで、傷んだ足の指を解放したかった。体に白く噴いている塩を洗い流し、さっぱりしたかった。そして、ビールを浴びるほど飲みたかった。
翌日。
レース翌日。
ゆかりっちが美味しいパンケーキを食べたいというので、アラモアナから路線バスに乗って、カイルアに行った。お目当ての店は、ブーツ&キモス。遅めの朝食だったが、有名店のようで行列ができていた。まぁ、僕にはパンケーキのどこが美味しいのかよくわからなかったけれど…。
それから、僕らはレンタサイクルでカイルアビーチに向かった。全米有数の美しいビーチということだったが、静かで、水の透明度も高く、ここは評判通りの美しさだった。
冬のカイルアの海は案外冷たく、昨日酷使した体のクールダウンに最適だった。僕とゆかりっちは、青い空の下、しばらく海に浸かり、いろいろな話をした。昨日のレースを反省したり、練習方法について検討したり、次に出るレースの話をしたり…。海から上がると、脚が軽くなっていた。
そんなことが、この年のホノルルマラソンの忘れられない思い出だ。
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