感動した! 9時間26分50秒、完歩【2013ホノルルマラソン回顧】

海外マラソン

ホノルルマラソンには、制限時間がない。42kmに挑戦するすべてのランナーがゴールするまで、時に声援で、時に静かに見守ってくれる。素敵な大会だと思う。

2013年12月9日、夜明け前のアラモアナ公園に、僕とゆかりっちはいた。まだ暗い空をいくつもの照明が照らし、それを目印にするかのように、どこからともなく、ざわざわと世界中のランナーが集まってきた。まさに老若男女、日本人ランナーも多い。仮装しているランナーがいる。お揃いのユニフォームで走る人たちがいる。なぜだかわからないけれど、大声で笑って話している人がいる。会場にはロックミュージックとDJの軽快な声が響きわたり、スタートムードを盛り上げていた。

初マラソンの僕らは、早めにスタートゾーンの後方に位置取った。これから、3万人ものランナーが一斉にスタートすると思うだけで、心が踊った。この1年、十分な準備ができたとは言えないけれど、ここに立っていることがうれしかった。ゆかりっちは「1kmでリタイアしてね」と、僕に何度か念押しした。「大丈夫、大丈夫」とだけ、僕は言った。

いつのまにかスタートゾーンは人で埋め尽くされていた。最初に車椅子ランナーがスタートし、それから、何発もの花火が空に上がった。会場のムードが最高潮なったとき、合図のピストルが弾かれた。午前5時、僕らのホノルルマラソンがスタートした。

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スタートしてからしばらくは、まるでデモ行進のように、人の波は歩いていた。「よーい、ドン」と、3万人による壮大な「かけっこ」を想像していたので、これは意外だった。1kmを過ぎても、人の波は走る気配がない。「これなら大丈夫!3kmまで歩く」と、僕はゆかりっちに言った。ゆかりっちは「無理しちゃダメ」と言ったが、歩くことは許してくれた。

2kmを過ぎたころ、ようやく隊列がバラけだし、走れるようになった。僕はゆかりっちに、先に行くよう促した。ゆかりっちは「一緒に歩く」としばらく渋っていたが、「絶対、3kmまでだからね。約束してね」と言い残し、走り出した。僕はひとりになった。

ひとりで歩き出した僕は、「イチ・ニー、イチ・ニー」と小さく掛け声をかけながら、一歩一歩、足を前へ進めていった。左ひざは痛んだが、歩けないほどではない。大丈夫だ。夜明け前のダウンタウンの沿道にはクリスマスのイルミネーションが彩り、写真を撮ったりする余裕もまだあった。3kmを過ぎた。でも、僕は歩くことをやめなかった。

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長い一日だった。正直言うと、この日のことはよく憶えていないんだ。人は極限に挑むと、記憶が断片化してしまうのだろうか。さながら、ばらばらなクロスワードパズルのピースのように。しかし、この日のホノルルは、よく晴れあがり、とても暑かったことだけは確かだ。

僕は一歩一歩、歩を刻みながら、前夜考えた戦術を、繰り返し繰り返し、心の内で唱えていた。ひざに上下動が伝わらないよう、重心低く、戦車のように歩く…。戦車のように歩く…。それから10kmごとに、痛み止めの薬を飲んだ。そして、苦しくなると「やりきる」という言葉を、とても小さな声で何度も叫んだ。

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一番苦しかったのは、17km過ぎと27km過ぎ、ハイウェイに出てからだった。ここから6km以上直線道路が続いた。歩いても歩いても、周囲の景色が変わらない。永遠にゴールにたどり着けないんじゃないか、と思った。不安を吹き払うように、僕は自分に声をかけて、歩き続けた。イチ・ニー、イチ・ニー…。やりきる、やりきる…。マラソンとは、弱い自分に挑戦するスポーツなのだと初めて知った。

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40km地点。ダイヤモンドヘッドを登りきったところで、ゆかりっちが待っていた。松葉杖を大事そうに抱えて、目には涙を浮かべながら。僕はその涙に気づかないふりをして、「大丈夫」「大丈夫」と言いながら、前を向き、歩き続けた。

「ゴール、もう少しだよ」

「うん、大丈夫」

「ホテル戻ったら、いなかったから、びっくりした」

「うん、大丈夫」

「痛くない?」

「うん、大丈夫」

僕は、それ以上、何かことばを口にすると、泣いてしまいそうだった。ゆかりっちは5時間30分で完走し、ホテルに戻った後、再び40km地点まで僕を探しに戻ってきたらしい。

そこからは、ゆかりっちと一緒に歩いた。僕は幸福だ、と思った。左ひざの痛みは限界に達し、全身が軋んでいたけれど、ゴールのカピオラニ公園はもう目の前だった。

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完走(歩)。タイム、9時間26分50秒。

僕は、やりきれた自分に、ものすごく感動していた。自分のことを初めて褒めてあげたいと思った。9時間半、走ることはできなかったけれど、歩き続けて、一度も止まることはなかった。ささやかだけれど、それだけが誇りだ。僕の無謀ともいえる挑戦は、こうして終わった。


後日、日本に戻り、西早稲田整形外科でMRI検査を受けた。左ひざの疲労骨折は拡大していた。僕が正直に完歩したことを白状すると、陣内先生はひどく叱った。「もう少しで、手術が必要なところだったよ」。それから、松葉杖が取れるまで2カ月、リハビリに4カ月、走れるようになるまで半年を要した。

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