50歳になる僕へ。

思うこと

2015年が、明けた。

除夜の鐘が鳴り出すころ、家の近所の小さな猿田彦大神に初参りをし、いくつかの願い事をし、御神酒で身体を清めた。風もなく、とても静かな新年の幕開けだった。

僕は数日後、50歳になる。

まさか、この歳まで生きているとは、思わなかったな。20歳のころは、我が人生は太く短く、日本マクドナルド創業者の藤田 田さんの受け売りで「自分自身がブランドだ」と息巻いていたから。

実際、社会に出た僕は、よく働き、よく悩み、よく遊んだ。仲間と何杯ものビールを飲み、夜な夜な語り合った。いくつものミスもしたし、大きな声では言えないけれど、いくつかの過ちもおかした。若い日の「熱」は、たしかに僕に独特な存在感を与えていた。でもね、その熱も、次第に冷めていったんだ。まるで、時計の秒針が静かに時を刻むようにね。

「何か」を探し続けた20代。
「何か」にもがき続けた30代。
「何か」が流転し出した40代。

多くの人がそうであるように、僕はいつも「何か」と格闘してきた気がする。そうして今、「何か」を宿題にしたまま、50歳の節目の扉を開こうとしている。僕にとって「何か」って、いったいナンなのだろう?

僕は今日から、ブログを書き始めることにした。「何か」を見つけるために。人生に「熱」を与えるために。いや、そう大義じゃない気もする。僕が、僕と対話をしたいだけかもしれない。とにかく、今日からブログを始めることに決めた。今朝、風が強く吹く、六義園を走りながらそう決めたんだ。

50歳の僕へ。「ファイト!」

(了)

コメント

タイトルとURLをコピーしました