本番1カ月前に、左ひざ疲労骨折が判明【2013ホノルルマラソン回顧】

故障・痛み

大事なことを、はじめに書く。ケガや病気の診断には、セカンドオピニオンが必要だ。

2013年秋。
新調したニューバランスNB1040の履き心地は、上々だった。足幅Gサイズ、28.0cm。見るからに大男仕様のシューズだが、路面をしっかり踏んで走る感覚といったらよいだろうか、着地時の安定感は抜群だった。ランニングシューズとはこういうものなのか、と妙に納得した。

しかし、シューズを新調しても、肝心の左ひざの鈍い痛みは解消されなかった。熱海にプチ走りこみ合宿に行ったものの、2km地点でひざに激しい痛みが走り、やむなく中止。その後も次第に痛みは増し、いよいよ歩くことも困難になってきた。これは、タダゴトではないかも…。不安がよぎった。

2013年11月初旬。ホノルルマラソン本番まであと1カ月と少し。僕は仕事帰りの夜に、池袋の某クリニックに、びっこをひきながら駆け込んだ。Googleで「池袋 スポーツドクター」と検索すると、真っ先に出てきたクリニックだ。院内に入ると、待合スペースに数々のスポーツ選手の写真やアイテムが飾られている。どうやら、なでしこジャパンの澤選手のかかりつけ医らしい。患者さんがひっきりなしに訪れることからも、繁盛しているようだ。

僕の名前が呼ばれた。診察室に入り、僕は痛みの具合と経緯について、事実を淡々と話した。ドクターは簡単に触診をした後で、超音波エコーで診察を始めた。薄暗い小部屋の中に、ドクターと僕ふたり。パソコンのマウスのようなものをひざにグリグリとあてて、時折機械音がする中、しばらく沈黙の時間が流れた。

「ん~、おそらく神経痛ですね。特に骨とか筋に異常はないので」。ドクターの診断である。「少し様子を見てみましょう。マラソン?痛むなら走らない方がいいですよ」。その後、左ひざにきつめにグルグルグルっとテーピングを巻かれ、巻き方を教わり、その日は帰宅した。神経痛。僕はその診断に、なんとなく少しホッとした。家に帰って、ゆかりっちに話と、「神経痛? もう歳ってことね」と一笑された。

ところが、である。

テーピングで固定された左ひざは、いっこうに回復する気配がない。それどころか2~3日すると、固定した左ひざの痛みはいっそう増し、歩くと額に脂汗がにじむようになった。本当に神経痛なのか?こんな状態じゃ、走れない。本番まで、もう1カ月ない。僕はセカンドオピニオンを求めることにした。選んだ病院は、西早稲田整形外科。ネット情報によると、ここの陣内院長はひざの名医とのことだ。2013年11月18日、藁にもすがる思いで、仕事を放り出し、西早稲田整形外科を訪ねた。

西早稲田整形外科は、都電荒川線早稲田駅の目の前にある。診察開始の1時間前に到着したものの、すでに10人ほど行例になっていた。平日の昼間だったせいか、その多くがお年寄り。診察が始まるころには、30人以上が待合室にいた。受付で初診の旨を告げると、「院長先生でよろしいですか」と聞かれたので、「はい」と即答した(通常、先生は2人いて、初診の場合は院長先生ではない方が診るらしい)。

1時間以上、待ったと思う。ようやく、僕の番がきた。診察室に入ると、この病院が繁盛している理由のひとつが、すぐにわかった。軽くウェーブのかかった長めの髪、柔和な瞳、落ち着いたトーンの声。そう、院長はイケメン外科医なのだ。男の僕が嫉妬してしまうほどに。これじゃ、おばあちゃんたちも通うに違いない。おっと、話が横道にそれた。

問診が始まった。僕は今年からマラソンの練習をしていること。秋になると左ひざが痛みだし、今では歩くのも困難であること。他の病院では、神経痛と診断されたこと。そして、ホノルルマラソンまで、あと1カ月しかないことを話した。「この時期(病院を訪れる)ランナー、多いんですよ」と、院長は微笑みながら言った。話を聞くと、東京マラソンや、ホノルルマラソン直前になると、ひざ痛で訪れる患者さんが多いらしい。痛くても、どうしても走りたい人は、ヒアルロン酸注射をひざに打ち、走っているのだそうだ。

それから院長は、僕を診察ベッドへうながし仰向けにさせ、左ひざの動きを確かめた。定規や分度器のようなもので、ひざの曲がり具合を計測した。次はレントゲンとMRI撮影。ガガガガーっと轟音の響くMRIの中で、僕は少し安心していた。そうだ、ヒアルロン酸を打って、走ればいいのだ。けれど、注射はいつ打てばいいのだろう。成田は夕方発なので、その日の午前中に打てばいいか…。

MRI撮影を終えると、すぐに診察室に呼ばれた。院長の机上のライトボックスには、僕の左ひざのレントゲン画像とMRI画像があった。院長はその画像に目をやり、微笑みながらこう切り出した。
「まず、半月板が横に裂けていますね。ほら、横に線が入っているでしょ。それから、この部分、靭帯が伸びてますね」
院長は画像を指さしながら、僕の左ひざの状況を解説してくれる。半月板に、靭帯損傷…僕は診断の言葉をひとつひとつ反芻した。

一瞬、間があいたような気がした。院長の表情から笑みが消えた。

「半月板だけならよかったんですけど……ここ見てください。ひざのすぐ上、大腿骨の先っぽに黒く線が入っているでしょ。これは骨折です。疲労骨折ですね」

ひ、疲労骨折?

まさか。僕は疲れるほど、走った覚えはないぞ。

「絶対安静ですよ。それから、骨折部分に、三角形の薄い影がありますよね。これは経過観察が必要です。影が消えないようだと、骨壊死の可能性がありますので、そうしたら手術ですよ。また1カ月後ぐらいに、MRIを撮りに来てください」

こ、骨壊死?

正直、それからのことは、よく憶えていないんだ。頭の中が真っ白になってしまったから。だけど、最後の抵抗をしたのは、憶えている。僕は先生に聞いたんだ。

「ホノルル、歩いちゃダメですか?」

「今回はあきらめましょう。ハワイは行くなら、観光ということで。」

いつのまにか、院長はまた柔和な表情に戻っていた。そして、僕は松葉杖の使い方を教わって、病院をあとにした。

診断名は、大腿骨左顆部疲労骨折、全治2カ月。
僕は、松葉杖をつきながら、絶望の淵に立っていた。

(つづく)

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